熟成肉のカビって、実は「そこら辺にいるカビ」です。
私はもともと、カビの研究をしていました。
……なんて言うと、
「じゃあ、熟成肉に生えるカビのことも最初から全部知っていたんですね」
と思われるかもしれません。
全然そんなことありません。
私はもともと発酵食品メーカーで、麹菌の研究をしていました。

※上は黄麹菌
菌の世界というのは、ちょっとお医者さんの世界に似ています。
お医者さんだからといって、内科も眼科も皮膚科も脳外科も全部専門というわけではありませんよね。
菌も同じです。
私は麹菌を専門に研究していましたが、それ以外の菌については、正直ほとんど知りませんでした。
独立を決意して熟成肉を学び始めてから、改めて肉に関わる菌について勉強していくことになります。
そして、その中で知ったのが「熟成肉のカビ」です。
「熟成肉のカビ」って聞くと、なんだか特別そうですが……
熟成肉に使われるカビ。
こう聞くと、研究所で大切に培養された、ものすごく特殊なカビを肉に付けているようなイメージがありませんか?
ところがですね。
全然そんなことはありません。
めちゃくちゃ身近にいるカビです。
皆さん、こんな経験ありませんか?
晩ごはんで食べた肉じゃが。
少し余ったから、
「明日食べよう」
と冷蔵庫に入れる。
そのまま忘れる。
一週間くらい経って、
「あ、肉じゃがあったわ」
とフタを開ける。
モフッ。
……いますよね(笑)。
あのモフモフしたカビ。
極端に言えば、ああいう身近なカビの仲間が、熟成肉の表面にも生えてくるわけです。
ところが肉に付くと、とんでもなくいい香りを出す

面白いのがここです。
このケカビの仲間が肉の表面で育ってくると、ものすごくナッツのような香りを出します。
私の感覚では、かなり強烈です。
上品に、
「ほのかなナッツ香が……」
なんてレベルではなく、
暴力的なナッツ香。
そのくらい分かりやすく香ることがあります。
熟成肉を初めて食べたお客様から、
「ナッツみたいな香りがする」
という感想をいただくことがありますが、その独特な熟成香に、表面の微生物が関わっています。
そしてケカビだけではありません。
酵母などによって、バニラを思わせるような香りを感じることもあります。
肉なのに、ナッツ。
肉なのに、バニラ。
この辺りが、熟成肉の非常に面白いところです。
▶ この熟成香を実際に味わえるのが「熟成肉赤身食べ比べセット」です。
ちなみに、うちのモフモフの正体も調べました
かなり以前の話になりますが、
「うちの熟成肉に生えている、このモフモフはいったい何者なんだ?」
と思って、実際に調べたことがあります。
菌の同定って、ちゃんとやろうと思うと結構お金がかかるんです(笑)。
そのとき確認されたのが、
Mucor flavus(ムコール・フラバス)

というケカビの仲間でした。👆
名前を聞くと急にものすごく専門的な生き物に感じますが、これも決して「熟成肉専用の特別なカビ」というわけではありません。
身近な環境にも存在するカビの仲間です。
ケカビの仲間は、寒い環境が好き
ここは熟成肉を理解するうえで結構重要なところです。
ケカビの仲間には、寒い環境を好むものが多くあります。
だから、冷蔵環境でも生えてくる。
熟成肉つむぐでは、肉を1℃で熟成させています。
1℃。
めちゃくちゃ寒いです。
人間だったら長時間いたくない温度ですが、こうした低温環境でも活動できる微生物がいるわけです。
ただし、
「ケカビが寒いところを好きだから1℃にしている」
というだけではありません。
なぜ1℃なのか。
ここには、熟成肉を安全に長期間熟成させるうえで非常に重要な理由があります。
この話を始めると長くなるので、これは次回にしましょう。
「じゃあ家の冷蔵庫でも熟成肉を作れる?」
ここまで読むと、おそらく一人くらい思うはずです。
「寒いところが好きなカビなら、家の冷蔵庫に肉を入れておけば熟成肉になるんじゃない?」
なりません。
むしろ、家庭用冷蔵庫に生肉を長期間置いていたら、
熟成肉になるどころか、まず腐ります。
これは本当にやめてください。
熟成肉は、
「肉を冷蔵庫に長く置いておくこと」
ではありません。
温度だけではなく、湿度、風、衛生環境、肉の状態など、さまざまな条件を管理しながら熟成させます。
ご家庭の冷蔵庫で真似するようなものではありません。
肉じゃがの「モフッ」と、熟成庫の「モフッ」。
見た目が似ているからといって、置かれている環境まで同じではないんです。
では、カビが肉を分解して「中まで旨味を増やしている」のか?
ここも、熟成肉について調べていると時々目にする話です。
「表面のカビが作った酵素が肉の内部まで入り込み、タンパク質をアミノ酸へ分解して、肉全体の旨味を増やしている」
という説明。
ただ、私は基本的にそうは考えていません。
もちろん、カビが存在している肉の表面では、酵素の働きによって成分が分解され、旨味成分が増えることはあります。
でも、その酵素や菌糸が肉の奥深くまで入り込んで、内部全体を分解しているのかというと、そこは別の話です。
私が以前研究していた麹と比べると分かりやすいです。
麹には「はぜ込み」がある
麹菌を米に生やすと、
表面が白くなるだけではなく、菌糸が米粒の内部へ入り込んでいきます。
これを麹の世界では「はぜ込み」と呼びます。
米を割ってみると、中まで白く菌糸が入り込んでいる。
こうなっていれば、
「ああ、この米の内部まで菌が入り、そこで酵素が働いて分解が進んでいるんだな」
と考えられます。
ところが、熟成肉では少なくとも私が扱っている肉に、麹の「はぜ込み」のように菌糸が肉の内部へどんどん侵入している状態は見られません。
だから、
「表面のカビが作った酵素が肉の中心まで入り込み、肉全体の旨味を作っている」
という説明には、私は少し違和感があります。
カビの影響を強く受けているのは、基本的には表面です。
では、肉の内部では何が起こっているのか。
ここにはまた、肉自身が持っている酵素など、別の話が関わってきます。
これも掘っていくとかなり面白い世界です。
ちなみに、カビそのものは美味しいのか?
これも気になるところですよね。
ケカビ自体を積極的に食べようとは思いません。
ただですね。
試しに炙ってみると……
意外と香ばしい(笑)。
豆を炙ったような香りがして、香りだけなら結構いい。
ただ、そのままモグモグ食べて飲み込むと、喉にチクチク、イガイガするような感覚を感じることがあります。
これにはシュウ酸カルシウムが関係します。
イメージとしては山芋やとろろ。
触ったときに手がかゆくなったり、食べたときに喉に少し刺激を感じたりする、あの感じです。
そのため、熟成肉にカビが生えているからといって、
「じゃあカビごと食べよう」
という話ではありません。
商品にするときには、表面をきちんとトリミングします。
カビは「魔法の粉」ではない
熟成肉というと、ときどきものすごく神秘的に語られます。
「特別な菌が肉を包み込み、酵素が中まで染み込み、旨味の塊へ変えていく……」
なんて言われると、たしかに美味しそうです。
でも、実際のところはもっと地味で、もっと面白い。
そこら辺にも存在するカビが、
きちんと管理された環境の中では肉の表面で育ち、
独特の香りを作る。
表面では成分の変化も起こる。
その一方で、肉の内部ではまた別の変化が進んでいる。
私は、この「魔法じゃなくて、ちゃんと理由がある」ところが熟成肉の面白さだと思っています。
元々、麹菌を研究していた人間としては、
独立して肉屋になったのに、
結局また顕微鏡の向こう側みたいな世界に戻ってきたわけです(笑)。
まだまだ話したいことはあります。
ということで次回は、
「なぜ熟成肉つむぐでは、1℃で肉を熟成させるのか?」
この話をしたいと思います。
1℃という数字には、ちゃんと理由があります。
【この記事で紹介した熟成香を味わう】
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「なぜ1℃で熟成させるのか?」の続きや、熟成肉の焼き方・入荷情報をLINEでいち早くお知らせします。
